2025.12.05生きるということ【園長のひとり言】
人は「生きる」ために生きる。昔、ある先輩から聞いた言葉だけれど、生きるという言葉の内側にあるものを、あらためて紐解いてみようと思う。
生物学的な“生きる”を超えて、私たちがどのように人生を形づくっていくかを考えると、人間は本能だけでは生きていけない存在であることに気づきます。本能の代わりに私たちを導いているのが「こころ」。
「こころ」は、意識や無意識の領域から行動を決定し、よりよく、より豊かに生きようとする力を生み出しています。
この働きを理解したいと思うなかで、「こころ」の発達が自然と重なって見えてきます。エリクソンの漸成的発達理論をひとつの視点として眺めると、アイデンティティという言葉が、進むべき方向を示すように浮かび上がります。
「こころ」が発達した先にあるアイデンティティの確立。人は生まれてからずっと、「こころ」の欲求を満たされ、満たしながら、自分を探し、社会の中で「ひとりの私」になっていくのかもしれない。
その過程には、多くの人との関わりがあります。一緒に働いた仲間、声をかけてくれた人、あるいは何気ない会話の中で心に残るひと言をくれた人。そうした日々の積み重ねが、気づけば自分の考え方や価値観の一部を形づくっていきます。
ときに、ふとした瞬間に過去の情景が思い出され、あのときの空気やまなざしが柔らかく胸に浮かぶことがあります。それは特別な出来事でなくとも、長く仕事を続けているなかで自然と折り重なっていく、経験の厚みのようなものだったりします。
こうして振り返ってみて、はじめて分かることがあります。人は「生きる」ために生きる。その言葉には、日々を丁寧に積み重ねていく営みそのものが含まれているのだと思います。
表現を変えれば、人は「社会のなかで自立した私になる」ために生きている。それは子どもが大人へと成長していくプロセスそのものであり、子どもたちは日々、自分の「こころ」の欲求を満たしながら、少しずつ自分という存在を確かめていくのです。
そして私たち大人もまた、経験や出会いの積み重ねのなかで、自分の輪郭を確かめながら歩き続けています。過去の時間に育てられ、今を生きながら、次の私へ向かうために。