理念と教育方針理念と教育方針

一人ひとりの子どもを大切に生きる力を育てる。

生きる力。最近よく耳にするフレーズだけど、価値が多様化している今の世界で、その具体性を示すことは意外と難しい。私たちが育みたい力とは、いずれ大人になったときに自立できるだけではなく、他者のために生きられる。もっと言えば、それに喜びを感じられるということ。たとえば、家族のために、仕事を通して社会のために、保育士であれば、そう。
子どもたちのために、です。

その対象は誰だって構いません。ただこの感覚を身につけるためには一つだけ条件があります。泣くことしかできない時代からはじまって、未成熟なときに、たくさんたくさん助けてもらうこと。これ、です。この温かな体験の連続が将来、今度は自分の番として人のために生きたいという動機へと繋がっていくのです。

教育・保育の方針

自分を信じる力を育てる

子供のありのままを受けとめながら、生きる源である自信と勇気を育みます。

遊びを通して創造力を培う

さまざまな遊びのなかで、豊かな思考力を培います。

社会性を養う

温かな人間関係のなかで、年齢相応の社会性を養います。

コミュニケーションの力を育てる

話す力と聞く力。コミュニケーション能力の基礎である言葉を大切にしながら育みます。

主体(能動)的に行動できる力を身につける

いろいろな体験を通して、自分で感じ、考えて、行動できる力を育みます。

理事長ご挨拶

画像:理事長 志賀口大輔

社会福祉法人 和光会 理事長
志賀口 大輔

近年、ペリー就学前プロジェクトとかアベセダリアンプロジェクト等の様々な国際的縦断研究から乳幼児期の保育が子どもの将来に積極的な影響を与えることが明らかになりました。それは就学後の学力を向上させるだけでなく、生涯に渡って生活の質そのものを高めていくというのです。

だからこそ大切したい保育の内容。でも待機児童解消の名のもとに増え続ける保育園と、それにともなって多様化する保育(観)。色々あり過ぎて子どもたちにとって何が正しいのかを見極め難くなっているかもしれません。

ただこれだけはハッキリと言えます。小学校教育を前倒した読み書きソロバンは時代遅れだ、と。知識の量とその正確なアウトプットを教育現場が求められたのはもう過去のこと。ググれば、ほとんどのことが調べられるこのご時世で早くから覚えることに、どれだけの意味があるのでしょうか。テクノロジーが更なる進歩を遂げる未来で求められる知識はおそらく量ではなく、その質。つまり意欲的に学ぶ姿勢から始まり、身につけた知識をどの様に使うか、です。

そして、その源泉は非認知能力と言われる目に見えない力の育ちにあります。例えば、「精神的健康」とか「根気強さ」とか「注意深さ」ですが、それらは子どもの自発性を大切にした活動(生活)やじっくりと遊び込む経験、また友だちと遊びをともにするなかで育っていきます。

昔から大切なものは目には見えないと言うけれど私たちが育みたいのは、まさにその目に見えない心のカタチです。豊かな生活と遊び。それしかこだわりはないけれど一人ひとりの子どもと紡ぐ信頼の輪を大切に、人生はじめの第一歩へしっかりと寄り添っていきたいと考えています。

なごみこども園の特色

画像:園内風景

子どもの視点で生活に心地よさを

大人の生活空間がメインとなる一般のご家庭と違って保育園は子どもの視点を中心にしてつくられたところでなくてはなりません。だからといって、派手な色合いや空飛ぶアンパンとかネズミのアイドルに囲まれているのは、ちょっと違う。それは、幼稚なだけ。感受性豊かな子どもたちの環境だからこそ、文化的で季節感あふれている方がいいって思います。そして、大切にしたい一人ひとりの安心や楽しいという快適さ。丁寧な育みのなかで見つける暮らしの動線やいろいろな遊びは、信頼を紡ぐ第一歩となるはずです。

画像:園内風景

みんな一緒、ではない乳児の保育

「みんなで、一緒に」は、たくさんの子どもたちがいる保育園や幼稚園がもっているイメージの一つかもしれない。確かに昔ながらの保育では、乳児でも幼児でも生活から遊びまで一斉に活動します。おそらく、どの年齢においても子どもの数と比べて大人の数が圧倒的に少ないからです。でも、ね。その歴史を否定するわけではないけれど、そのスタイルは今の社会に馴染みません。だって、これだけ働き方が多様化しているのだから。

たとえば、就労開始時間が7時からだったり9時からだったりするということ。 それにともなった異なる起床や朝食の時間は、当然ひとつのクラスに,いろいろな生活リズムの子どもたちを混在させていきます。ね、無理でしょ。朝食の時間が1時間違う赤ちゃんが同じテーブルでお昼ご飯を食べるなんて。だからこだわっているのです。一緒ではない保育に。家庭と園の時間を連動させることで、それぞれの子どものちょうど良いを見つけていきます。

画像:園内風景

異年齢という保育のかたち

幼稚園でも保育園でも幼児のクラスが年齢別で構成されていることに疑問をもつ人は少ないと思います。3歳児クラスとか年長クラスとか。だけど、あまりにも当たり前すぎて、どうしてそうなのかを保育する側から語られることは、ほとんどありません。でも、それって変だと思う。語られないことではなく、専門機関として年齢別を常識にしていることが、です。だって年齢別より異年齢で過ごす方が、子どもの育ちを考えれば断然、積極的な意義を見いだせるから。

そもそも、異なる年齢で構成されている集団は、子どもに限らなければごく自然な状態です。みなさんの会社が単一年齢で組織されてないようにね。それは、いろいろな年齢や経験が互いに補い支え合うことで、個人も集団もより成熟しやすいからです。その前提に立つと幼児期だって同じはず。それに、この時期の学びは、まね(模倣)をすること。つまり言葉ではなく目で見て、まねをして身につけていくことを最大の特徴としているので、手が届きそうで届かない存在は、必要不可欠なのです。たとえば3歳の子どもが、5歳の子どもの積み木を見ながら、すぐにはできないけれど何度も挑戦することで到達するように、ね。

画像:園内風景

遊びのススメ

早期教育が流行っています。右脳○○とか英語とか音楽とかね。でも、それらの多くは子どもを対象にした商業的なもので結果成果は、ほぼほぼ期待できません。だって、もしそれが学童期の成績や語学力、才能に繋がるのだとしたら、多くの日本人がもっと英語を話せるようになったり、音楽の才能を開花させたりしているはずだから。学校教育法で幼児の学校教育施設だと位置付けられているところが、ずっと前からそういったプログラムを積極的に取り入れているにもかかわらず、大人になって周りを見渡しても、英語をペラペラ話しているのはごく限られた人か外国の方くらいしかいないのは、そういうことです。

では、この時期の教育とは・・・ズバリ遊びです。 遊びというと何だか子どもが好きなことだけをしているように聞こえますが、その通りです。好きなこと。つまり自分の意志で目や手をはじめとして身体の様々なところや、心を使って周りの環境に働きかける。これが乳幼児期の遊びの本質で、これ以降に勉強とか仕事と対義的に使われるソレとは違います。そして、この主体的行為の豊かさは、もう少し先の時代に大切なエッセンスである想像力や集中力、そして「やってみたい」とか「知りたい」という意欲と密接な関係にあります。だから、学校の予備校的なものはないけれど、子どもたちの毎日の楽しいが、いっぱいの遊びが、ここにあります。

画像:園内風景

食育のエッセンス

食育ってなんだろう。簡単で便利が大きな経済効果を生み、ファストフード店が24時間営業している時代だから余計にそう思ってしまいます。でもきっとこの流れは、これからも続きます。経済原理の名のもとに食の価値をどんどん多様化させていきながら、その一方で食の大切さを説くという矛盾が、ね。だからこそ食育に、こだわらなければなりません。

私たちのこだわりは、将来に向けて食の選択肢を育むことです。家族をはじめ周りの大人から守られた時代を卒業したその時に溢れた食から自分にとっての正しい、を見つけられるように。例えば、それは体調やウェイトに合わせて食を選んだり、より健康的な体を目指して栄養の偏りを避けたりという選択を自身で出来ることを意味しています。園のお昼ご飯にカレーやパスタのような家庭の定番メニューが登場しないのは、それでは選択肢が増えないから。味覚が未熟な時期だからこそ彩や旬の食材に創意を重ねて、毎日の様々な「美味しい」を創っていきたいのです。

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