2020.11.02私の主体性【園長のひとり言】
子どもの主体性についてのお話です。一般的には、自分の意志や判断によって行動する態度や性質という意味で使われるこの言葉だけれど、乳幼児期にソレを育むことや主体的な活動を積み重ねることが成長の過程でとても大切だと言われています。近年の研究では以前に説明した非認知能力(社会情動的スキル)を高めることも明らかとなり、保育所保育指針や幼保連携型認定こども園 教育・保育要領、幼稚園教育要領でも繰り返しその重要性が記されています。
例えば保育所保育指針には「子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相互の関わりを大切にすること。特に、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように、生活や遊びを通して総合的に保育すること。」と、保育の方法が示されています。
ふむふむ。確かに、その通りで異論は一切ありません。だけど、表現が抽象的で少し分かり難い。主体的な活動、もう少し平易な表現に置き換えると「自分が」とか「自分で」考えて活動するってことなのだけど前後の文脈があってもイマイチ、ピンときません。
ただ保育する側からすれば、子どもがおこなう行動のどこからどこまでを主体的として捉えるかという線引きは必要です。だって、大切にするのは良いけれど例えば幼児期の子どもがしたいことの全てを肯定してたら園が無法地帯となってしまいます。棚によじ登ったり机の上でピョンピョン跳ねたりを放任するような誤った児童中心主義に陥ってはなりません。
では、どう様に考えるべきか。少なくとも無数にある子どもの行為や行動を分類して考えるのはナンセンスだと思います。つまり特定の行動や行為で主体性は語れないってこと。
その一方で特定の感情、つまり「自分で」や「自分が」という感情下にあることは保障しなければなりません。そして大切なのは、それらの感情での行為や行動が特定の条件下でおこなわれていることです。
例えば、「室内遊びの時間に」という条件の下で誰と何をどの様にして遊ぶかを自分で決める。さらには自分の「やりたい」を求めるなら、当然友だちのやりたいも受け入れことが条件となります。自分だけが、「やりたい」では、ただの利己主義です。
そう考えると本物の主体性を発揮するには、ある程度の集団に身を置く必要がありますし、だからこそ保育園やこども園が主体性を育む環境として適しているのだと言えます。保育者が主体性を正しく理解していれば、ね。