園長のひとり言

成熟のなかにある答え【園長のひとり言】

東野圭吾さんの小説ガリレオシリーズ「真夏の方程式」に、こんな一説があります。

 

『どんな問題にも答えは必ずある。だけどそれはすぐに導き出せるとはかぎらない。

人生においてもそうだ。今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。だから人間は学び、努力し、自分を磨かなきゃいけないんだ。』

 

これは、ある海辺の町で起きた事件のなかで明らかになる真実を前にして、湯川先生が少年にかけた言葉です。ネタバレになってしまうので詳細は書けないけれど、この後に天才物理学者の感動するセリフが続きます。関心のある方は是非、読んでみてください。

 

と、この一説を紹介したのは保育の現場でもよく目にする課題と共通していたから。たとえば保育者の想いや言葉がなかなか子どもたちに届かない、とかね。何度注意しても同じことを繰り返す子どもの姿はご家庭でも珍しくないはずです。

 

そのような時に、どうして、なんで分かってくれないのだろうと保育者は悩みます。が、結果的として、その状況はなかなか改善しません。そして、また次の日も同じことを注意していたりします。

 

ここで大切なのは子どもに保育者の言葉が伝わっていないというより、その想いが届く為には子ども自身のさらなる発達や成長が求められている場合も少なくないということです。

 

だからこそ保育者はクラス全体の安定を考えなければなりません。例えば幼児のクラス。ココには3歳児から5歳児の異年齢で編成された3つのクラスがあります。当然、そこには多様な感性や気質の子どもたちが混在しています。もちろん性格もそれぞれで、穏やかな子もいれば、やんちゃな子もいます。

 

保育者の視点で言えば子どもたちが、みんな穏やかに仲良く過ごしてくれていたとしたら悩むことはないでしょう。でも、その様なことはありえません。そうだとすれば、どうしたらクラス全体が落ち着いて過ごせるかを考えるしかないのです。

 

しかし、それはクラスの全員が落ち着いていることではありません。全体と全員は違います。社会全体の幸せが、その社会の全員が幸せになることではないように、です。

 

それぞれの個性が、ぶつかり合いながらも互いに補い合ったり、異なる年齢からそれぞれの特性を活かして繋がったり。それらクラスとしての成熟が、ひとり一人の子どもの成長を持ち上げ、そしてひとつの集団として全体の落ち着きへと繋がっていくのです。

 

その意味では春からはじまった新しいクラスは、秋から冬にかけて集団として成熟していく楽しみな時期となります。

 

あ、それからご家庭においても同じです。子どもの成長と家族の成熟は、おそらく不可分に結びついているはずなので役割は違いますが、ともに子どもたちのより豊かな育ちを願って学び、努力し、磨いていきましょう。

 

ECECという視点 【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-09-05

突然ですが世界が関心を高めているECECについてお話します。初めて聞く方も多いかと思いますが、これは「Early Childhood Education and Care」の略で、直訳すると人生初期の教育とケア(養護)という意味になります。

 

これらが注目されるようになったのは1990年代以降のこと。国際社会において様々な研究成果から乳幼児期の発達と教育がその後の人生の経験や生活の質に極めて重要な意味を持つことが分かってきて、先進国を中心にこのECECと呼ばれる分野を政策的に推進してきました。もちろん日本も、です。

 

ちょっと難しいけれど、これまでの30年の流れをOECDという国際機関が発信している報告書「Starting Strong」(人生の早期に力強い一歩を踏み出すことが効果を上げる)で簡単に説明してみます。

 

まず2001年にStarting Strong Iで、これまで分けて考えてきた乳幼児期の「教育」と「ケア」を統合し、教育とケアを包括的におこなうことが大切だと示しました。つまり、乳幼児期は教えると学ぶという関係だけでは豊かに育たないってことです。

 

そして5年後の2006年に発表したStarting Strong IIで、世界の2大潮流とも言える就学準備とホリスティックを分類。ヘックマンによる教育投資の収益率のモデルを踏まえ、人的資本投資の観点からのECECの重要性を、とくに意欲や関心といった非認知的側面の重要性を指摘しました。

 

ここはちょっと難解ですね。まず就学準備とは、小学校教育を前倒した、いわゆる早期教育のこと。例えば読み書きソロバンです。一方ホリスティックとは全体的なとか包括的なという意味で、経験を重視するなど生活全体を通して子どもを育むということ。

 

そして、これらを区別しホリスティックな教育のなかで意欲や関心など目に見えない力である非認知能力を育てることが大切だと示したのです。しかも、それらで育つ子どもたちの豊かさは、その国の経済にも効果的だと、ね。

 

この後2012年にStarting Strong III、2016年にStarting Strong Ⅳを報告し、いずれも質の高いホリスティックな教育を維持していくために必要な事項を報告しています。

 

…と、読み難いのはココまでにして、要は30年くらい前から乳幼児期教育の重要性や価値が高まっているということなのです。が、その内容や方法は全く変わってきていて過去、日本で盛んだったような読み書きソロバンを早い時期からはじめることの効果が科学的に否定されました。

 

その代わり豊かな生活や遊び環境で子どもが主体的に活動し、学力調査や到達度テストでは数値化はできないけれど、目に見えない精神的健康や根気強さ、注意深さ、意欲、自信などの力を身に付けることで将来に積極的な影響を及ぼすことが明らかになっているのです。

 

最後に、OECDのバーバラ・イッシンガー教育局長さんの言葉を紹介しておきます。

『ECECは様々な恩恵をもたらし得るが、どの程度の恩恵をもたらすかはその質如何である。質を考慮せずにサービスの利用を拡大しても、子どもによい成果はもたらされず、社会の長期的な生産性が向上することもない。実際、調査研究によれば、質の低いECECは子どもの発達に好影響をもたらすどころか、長期的な悪影響を及ぼしかねない』

 

※OECD(経済協力開発機構):ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め35ヶ国の先進国 が加盟し、世界中の人々の経済や社会福祉の向上に向けた政策を推進するために活動を行っている国際機関

相互に作用するということ【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-08-03

発達の相互作用についてのお話。人の内的な、つまり目に見えない変化には、みんなに共通するものがあってコレもその一つ。発達原理というやつ、ね。

 

身体とか言語とか認知とか心理とか・・・それぞれが独立して、ではなく相互に作用し発達していること。また人が生活している環境から刺激を受けながら相互に作用しあっていることを発達の相互作用と言います。

 

前者を言語と身体の関係で説明するとこうです。子どもの発語には、身体の発達が作用していて、初めて言葉(喃語)を獲得するには両手の自由が必要。つまり、ハイハイしている時にふさがっていた両手が、独立歩行によって自由となり指差しができるようになって、この行為と一緒に「ああ」とか「うう」という言葉がでるという訳です。

 

後者の場合は母子相互作用というのを例にして説明すると分かりやすいです。これは乳幼児の発達が養育者をはじめとする環境との相互作用により促されるってことです。養育者とは、母親の他に父親、祖父母、保育者などもさしますが、母親がその代表なので母子相互作用と言います。

 

乳幼児期の未成熟な時代は、当然のことながら周りの大人から色々とお世話を受けて育ちます。でも、その一方で育てられる子ども自身もその性格等、個性の違いによって大人の育児態度や仕方に多くの影響を与え、その環境の中で発達していくのです。

 

複数の子どもの育児経験があるお母さんにとって長男より次男の方が育て安いという話をよく耳にするのは、そういうことです。それは次男が育てやすい性格、というよりも先の育児で様々なことを学び母としての成熟がそう感じさせる共に、その中で次男は育つのだから…兄弟で性格に違いのある方が自然なのです。

 

保育者も同じ。1年目より2年目、5年目の方が保育者として成長するのは自身の経験はもちろんだけど多くの子どもたちから様々な個性や特性を学ぶから。技術だけでなく視点や考え方が多様になることで保育者として成熟し、その変化が子どもの発達に積極的な影響を与えるのです。

 

ただし、人、物、場など子どもを取り巻く環境は多種多様なので上記で挙げた関係ほどシンプルではなく、もっと色々と複雑に作用しながら発達しています。だからこそ難しいのだけれど、少なくとも相互作用という原理を意識しているのと、そうでないのとでは保育環境は大きく異なります。

 

そしてなごみこども園が、もとい園長がしつこいくらい環境、環境というのには、実はそういうのが背景にあって、「教授と学習」とか「教えると学ぶ」の構造だけでは、子どもの豊な育ちを約束できないと強く考えているからなのです。

幼児教育の新たな視点【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-06-01

幼児教育のお話。近年、OECD(経済協力開発機構)をはじめとする国際的研究結果(科学的根拠)から、幼児期の教育が子どもの将来に積極的な影響を及ぼすと言われるようになったのは、これまでお伝えした通りです。

 

少しだけおさらいすると、例えばペリー就学前プロジェクト。この研究は、1962年から1967年にミシガン州で、低所得のアフリカ系58世帯の子供を対象に実施。就学前の幼児に対して、毎日2時間半ずつ質の高い集団教育と、週に1度の各家庭訪問を実施したもの。

 

その時研究に協力した子どもたちは今、50歳を超えていて幼児教育を受けた子どもたちは、受けなかった子どもたちと比べて、IQに差はみられなかったけれど学力調査や学歴、収入、持ち家率が高い一方で、特別支援教育の対象者、離婚率、犯罪率が低いことが分かったのです。

 

つまり、貧困環境と子どもの消極的な育ちには強い相関があるけれど幼少期の質の高い教育が、それらネガティブな状況を乗り越えさせるということが分かったのです。ペリー就学前プロジェクト以外にも様々な国際的縦断研究が同じ結果を示しています。

 

ただ正確に理解しておく必要があるのは、ここでいう質の高い教育とは読み書きソロバンのような学力調査や到達度テストなどで数値化される能力(認知能力)を育てることではないということ。いわゆる早期小学校化したものではではなく、精神的健康とか根気強さ、注意深さ、意欲、自信など目に見えない非認知能力と言われる力の育成を質の高い教育だとしていることです。

 

先日、『「学力」の経済学』著者で、慶應義塾大学准教授 中室牧子さんの講演を聞く機会があって、そこでも非知能力の重要性が述べられていました。また、そこで中室先生が話されていた非認知能力に関する最新研究が、とても興味深かったので皆さんにもお伝えしようと思います。

 

それは2010年からシカゴ大学のジョン・リスト教授らによってはじめられた研究で、米シカゴ市郊外の貧困層が多く住むエリアにランダム化比較試験※をおこなう幼稚園「シカゴハイツ幼児センター」を設立。同センターには、毎年抽選で選ばれた3~5歳児約500人が入園し、その全員が米政府の定める貧困ライン以下の家庭の子どもたちなのです。そして、このあたりがアメリカらしいというか日本では絶対にできない研究だと思うのですがクラスを①数字の数え方や書き方、読書、英語などの認知能力を鍛えるクラス、②自主的な遊びや生活や共同活動によって非認知能力を鍛えるクラス、③親に「子育て学校」のコースを受講させた上で、学業成績と素行によって、最大年間7000ドルまでの賞金が授与される保護者を鍛えるクラスの3グループに分類しているのです。

 

そしてこの幼稚園で学んだことが子どもたちにどんな影響を及ぼすのかを生涯にわたって追跡調査。さらにこの3グループとプログラムに参加できなかった子どもたちとを比較し、教育効果を検証するというのです。

 

もちろん、この研究プロジェクトの結果は、まだ出ていません。が、同センターへ最初に入園した子どもたちは今11、12歳になっていて、どうやら②グループが他のグループに比べ学業成績等育ちの積極性がみられているそうです。

 

まだ中間報告なので、これを以て答えは出せないけれど、昔ながらの早期教育に幼児教育の未来を託すよりは、科学を信じた方が良いかと思っています。

 

※研究の対象者をランダムにグループに分け(ランダム化)し、一方には評価しようとしているもの、その他にはそれと異なる内容のもの(従来から行われている教育など)を行うこと

対象の永続性【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-05-01

赤ちゃんの人見知りという不思議。個人差はあるけれど、おおよそ6か月から始まるこの心理傾向をこども園で良く目にします。近年、お母さんの育児休業明けで入園するケースが多いので、慣らし保育という工夫はするものの入園当初はどうしても子どもたちは泣けてしまいます。

 

もちろん、お父さんやお母さんから離れて日中を過ごすわけですから最初は仕方がありません。ただ、例えばお母さんの産前産後休暇あけ生後3か月くらいで入園するとご家族と離れることでもそうなりません。

 

その違いは生後6か月くらいから対象(ひと・もの)の永続性(ジャン・ピアジェ・発生的認識論)という発達を獲得するから。

 

これは少し難しいのですが対象物が実体性をもつ永続的な存在として捉え始めることで、視界から消えた対象が存在し続けていると認識できる能力を言います。

 

例えば、テーブルの上に置かれたお人形を誰かが布で隠したとします。私たち大人は布で覆われただけで、お人形はそのままテーブルの上にあるということが分かります。

 

が、低月齢の赤ちゃんは、見えなくなった物が存在し続けていることを理解できないため、人形がなくなったと認識します。でも生後8か月くらいになってくると、かぶせられた布をずらしてお人形を探したり、欲しがって泣いたりするようになります。これは、未成熟な状態ではありますが見えていなくても物が変わらずそこにあり続けることを理解していることを意味しています。

 

そして、対象が「ひと」であれば「ひとの永続性」を理解したということであり、見えなくなったお母さんやお父さんを探すようになります。そして、これらの発達が人見知りの背景にあったのです。

 

また「対象の永続性」の理解は、乳児のなかに「表象世界(機能)」が育ってきていることを示しています。表象とは、こころの中のイメージや記憶のようなもので、これが目の前にない物や出来事、行為などをある程度意図的に構成、操作、変換することを可能にしてくれます。

 

私たち大人もこの機能を使って様々なことを記憶したり思い出したりして、またそれを参考にしながら行動しているのです。

 

さらに、この表象機能は次に獲得する「象徴機能」の基礎(原始的な発達)となっています。これは具体的に見たものや経験したものを、しばらく時間をおいて場所を変え自分なりのやり方で模倣し表現することで、みたて・つもり遊びやごっこ遊びはこの発達を下敷きにしています。

 

で、さらにさらに、この頭の中にイメージをつくりあげる遊びは論理性のある構造構成を必要とする為、数概念の習得や言語、文字の発達に大きく関わっているというわけです。ね、不思議でしょ。

 

人として社会で生きる大切な能力が赤ちゃんの頃からずっと繋がっているのです。そしてこれらの連続性を少しだけ意識して子どもたちと向き合ったとしたら、私たち保育者の方にも変化があるかもしれません。

うさぎとかめの本質【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-04-01

新年度がはじまり、いつも感じるのは立ち止まって考えられない歯がゆさ。小学校や幼稚園と違って年度末31日、ギリギリまで保育をして4月1日を迎えるのだから、どうしても走りながら思案するしかありません。

 

もちろん保育園やこども園は就労支援という社会的役割を担っているので、春休みがないことに文句はない。だけれど、かなり意識しないと多くのことが形骸化していってしまいます。つまり、それは保育が自己目的化してしまうということ。

 

それは絶対にあってはなりません。例えばこんな問題があります。皆さんがご存知のイソップ童話のうさぎとかめのお話。

 

 

ある日、ウサギがカメののろさを馬鹿にしていました。「それでどこかへたどり着けるかい?」とウサギは馬鹿にした笑いを浮かべて尋ねました。「そうだよ」カメは答えました。「君が思うより早くそこへ着くさ。君と競走して証明しよう」。

ウサギはカメと競走するというのは片腹痛いと思いましたが、なぐさみに承知しました。そこで、審判になることを承知した狐が距離を示して、ランナーにスタートを告げました。

ウサギはじきに見えなくなりました。そうして、ウサギと競走しようとするなんて馬鹿げている、とカメに心の底から思わせようと、カメが追いつくまでコースのそばで昼寝をしようと横になりました。

カメはその間にゆっくりと、しかし、着実に歩み続けました。そしてしばらくすると、ウサギが眠っている場所を通りすぎました。しかし、ウサギはとてもぐっすり眠っていました。とうとう目が覚めたとき、カメはゴールの近くにいました。ウサギは今や全速力で走りましたが、間に合ってカメに追いつくことができませんでした。

 

皆さんは、なぜウサギはカメに負け、カメはウサギに勝ったのだと思いますか?よくあるのはウサギが慢心していたから負けたとかカメが努力家だったから勝ったとかいう答え。

 

確かに、この話から見える表面的な教訓はそういったものだと思います。が、状況的にはそうであっても、おそらくこの勝負はスタートする前から決していたはずで、それこそがこの問題の本質的な答えなのです。

 

で、なぜウサギはカメに負けカメはウサギに勝ったのか。その答えは・・・「視点」が違っていたから、です。

 

異なる視点。ウサギは・・・カメを見ていました。つまり行動原則の基準がカメ、だったので昼寝をしたのです。一方、カメは・・・ウサギ、ではなくゴールを見ていました。この違いこそが勝負を分けたのです。

ここで本題です。前置きがながくなりましたが、こども園は、保育者は、誰を見て保育をするのか、です。もちろん、私たちの視点は子どもたちとそのご家族に向いてなくてはなりません。そして、その為に何ができるかを考えことこそが、なごみの教育と保育なのです。

二人の想い【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-03-13

音楽会で目にしたおおよそ6年間の軌跡。その成長を背景にした豊かな合奏と合唱という表現に思わず心が震え一ました。

 

ただ、そこにたどり着くにはいくつもの煩悶があって、けっして簡単なことではありません。もちろん家庭においても、そうだったと思います。

 

乳幼児期の子育てはハッキリ言って難しい。とりわけ幼児になれば感情が複雑に分かれ、好奇心旺盛になった子どもたちの行動は多様となり、その活動範囲をどんどん広げていきます。

 

1人や2人でも手が焼けるのに27人も集まればなおさらです。色々な個性が互いにぶつかりあって、その苦労は指数関数的に膨らんでいきます。それでも、保育者という役割が続けられるのはその環境のなかでしか得られない喜びがあり、何より子どもたちが大好きだから。

 

あの日、タクトを振った二人もそう。大好きな子どもたちから、いくつもの感動をもらったはずです。

 

彼女たちが同じ大学を卒業し、同じこども園に就職したのは3年前のこと。はじめて3歳児を担当してからずっと一緒に道を歩んできました。

 

最初の1年は、必死で先輩の背中をおっかける毎日で、あっという間に過ぎ去っていきました。そして、保育に関する色々なことが身につき、少しずつ任されることが増えるにつけて、その難しさと先輩との差に思い悩むようなります。

 

何度、やっても上手くいかない日々。続けていく自信がなくなり自然と涙がこぼれてくることもありました。それでも頑張ってこられたのはそっと手を差し伸べる先輩がいて、互いに勇気づける仲間がいて、何より二人を待っている子どもたちの姿がいつもそこにあったから。それらすべてが彼女たちの今を支えています。

 

控え目に言っても保育者として高い資質を持っている2人。性格は全然違うけれど、それぞれの感性は間違いなく子どもたちの成長にとって大きなプラスとなります。

 

それでも繰り返しになりますが30人近くの幼児を保育するのは簡単ではない。優しさだけでは保育できない。そこに必要なのは強い情熱です。だからこそ毎日考えた。涙をぽろぽろ流しながら本気で叱りもした。明日のために遅くまで園に残るのは、いつものこと。そしてそっと心のなかで問いかける「私は子どもたちを幸せにできていますか」と。

 

そして昨年の春。5歳児を任せられたられたことで、3年間ずっと一緒だった子どもたちとの関係は輝きを増し始めます。音楽という表現はとても繊細で誰がひとり欠けても上手くいきません。全員の気持ちが、ひとつにならないと美しい音色は奏でられません。その評価は皆さんにして頂くしかありませんが私はこう思います。

 

あの2人でなければあの表現力は引き出せなかった。他に代わりなどいないと、ね。2人と子どもたちの強い絆が調和を創りだしたのです。

 

そして、まもなく終わろうとしているこども園の2人と子どもたちの歩み。数々の思い出が今を輝かせるけれど、自分のこと以上に傾けてきた情熱とそれにともなう煩悶が寂しさを極限まで募らせていきます。

 

それでもなお2人は、感情の交差点に立ち子どもたちの幸せな未来を見つめているはずです。ありがとうの気持ちを、たくさん込めて。

大きな改定【園長のひとり言】

平成30年度より保育所保育指針と幼保連携型認定こども園教育・保育要領並びに幼稚園教育要領が改定(改訂)され、そのなかで幼児教育の重要性がうたわれているというのは以前にお話した通りですが、その具体的な中身について少しお話します。

 

なごみこども園をご利用の皆さまは、しつこく言い続けているので幼児教育が小学校教育を前倒した早期教育ではなく目に見えない力、いわゆる非認知能力(精神的健康・根気強さ・注意深さ・意欲・自信など)を育むことだというのはご承知の通りかと思います。

 

で、それらが指針や要領にも明記されるようになります。以下はすでに告示されている保育所保育指針の原文です。こども園教育・保育要領と幼稚園教育にも同じ内容が記載されています。

 

 

保育所保育指針

第一章総則

4 幼児教育を行う施設として共有すべき事項

(1) 育みたい資質・能力

ア 保育所においては、生涯にわたる生きる力の基礎を培うため、1の(2)に示す保育の目標を踏まえ、次に掲げる資質・能力を一体的に育むよう努めるものとする。

(ア) 豊かな体験を通じて、感じたり、気付いたり、分かったり、できるようになったりする「知識及び技能の基礎

(イ) 気付いたことや、できるようになったことなどを使い、考えたり、試したり、工夫したり、表現したりする「思考力、判断力、表現力等の基礎

(ウ) 心情、意欲、態度が育つ中で、よりよい生活を営もうとする「学びに向かう力、人間性等

イ アに示す資質・能力は、第2章に示すねらい及び内容に基づく保育活動全体によって育むものである。

 

 

この3つの育みたい資質・能力、(ア)で知識及び技能、ではなくその基礎と表記されていること。(イ)でも思考力、判断力、表現力等ではなく、その基礎と記されていること。(ウ)でも学び、ではなくそれに向かう力、人間性等と記載されているのは、いずれも学力調査やテスト等で数値化できるような目に見える資質・能力以上に目に見えない、いわゆる非認知能力の育ちの重要性を示しています。 そして、イの「保育活動全体によって育むという表現は、小学校のように教える(教授)と学ぶ(学習)という関係だけで身につくものではないことを意味しています。

そして、保育所保育指針(教育・保育要領)は、この後の段落で幼児期の終わりまでに育ってほしい10の具体的な姿を示しています。が、余白の関係で、今月はここまでにておきます。

 

とにもかくにも幼児教育が子どもたちの将来に大きな影響を与えることが科学的に証明されている今日において各ご家庭と協力して、それに力を注ぐのはこども園の本性であり責務だと考えていますのでご理解のほど、よろしくお願いします。

 

あ、くどいようですがもう一度だけ。乳幼児期と学童期では教育のあり方には違いがあります。その間にしっかりと繋がりはあるけど、ね。

園庭の果たす役割【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-02-01

園庭にあるスウェーデンHAGS社製の構築物。それら大小さまざまな遊具には私たちの思いがたくさん詰まっています。

 

乳幼児は身体の変化が著しく特にその動きや運動と密接に関わる神経系は大人を100%だとすると5歳児くらいまでに80%、残りの20%も小学6年生くらいまでに発達すると言われています。下の「スキャモンの発育曲線」というグラフを見るとよく分かりますが、神経系を示す青いラインが生まれて数年で指数関数的にグイっと伸びています。

 

そして一度繋がったさまざまな神経回路(経路)は、なかなか切れないという特徴があって、ここ10年くらい自転車に乗った記憶がないけれど乗れと言われたらスムーズに運転できるのは、そういうこと。逆にその回路が未接続のままだと、いつまでもできないってこともあります。スノーボードで木の葉滑りからなかなか先に進めない人がいるように、ね。

 

だからこそ、乳幼児期に色々と身体を動かし神経を多様に刺激することが大切で本当だったら森のような園庭ができたら最高なのだけれどスペースや予算の問題で難しい。

 

その代役となるのが遊具ってわけです。あ、でも今ある六角形のトンガリ帽子の屋根のついた遊具は高級外車が余裕で買えるくらいの費用が掛かっています。この時期の子どもたちには、それだけの投資をする価値があるから。

 

確かにスマフォのゲームや任天堂は子どもの関心を惹くし、大人がやっても面白い。ただ、保育園やこども園時代には同じ刺激だけを繰り返すこれらの電子機器は向きません。その楽しみは早くとも小学生まで取っておくことをおススメします。

 

くどいようですが80%、です。8割の神経系の発達が幼児期までに完成してしまうのです。ありとあらゆる場所に路線を張り巡らせた東京メトロのようになるのか地方路線のようになってしまうかの分かれ道がココにあるのです。

 

もちろん固定遊具だけでなく砂場や築山、3月くらいに導入予定のガチャポンプも子どもたちが自分の身体を使って様々な環境と対話して欲しくてデザインしています。

 

それから最後に大事なこと。どんな遊具でも安全でなければ意味がありません。ただ子どもたちのチャレンジ精神を育む上で大人が安全に囲い過ぎてしまうことにも問題があります。そのバランスが難しいのだけれど、落下等で大きな怪我に繋がらないようココの遊具下60cmには川砂が敷き詰められています。そして、その砂がいつもフカフカなのは男性スタッフが耕運機で耕しているからです。

 

新年のご挨拶【園長のひとり言】

園長のひとり言 
2018-01-01

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。

 

さてさて、新たな年を迎えて思うのは保育をより社会化していかなければならないということ。それは、つまり入園の有無に関わらず広く社会と子育ての専門機能を共有していかなければならないということです。と、いうのも平成28年の出生数が94万1千人となり、統計記録が残っている明治32年(1899年)以降、最少を更新してしまったから。

 

ただ、もしかしたら日本の出生数が100万人を割ったと言われても、マクロな視点過ぎて多くの方にはあまりピンとこないかもしれません。それでも、私が生まれた昭和49年の出生数が202万人だったことを考えると、この40年あまりで生まれる子どもの数は半分以下になってしまったことになり事態はかなり深刻。思い起こせば36年前に在学していた瑞穂小学校には40人学級が8クラスありました。

 

だからこそ今、待機児童の問題から保育園やこども園の就労支援機能ばかりに注目されていますが、もっと包括的な子育て支援が必要だと思うのです。

 

そのなかで保育園やこども園などの教育、保育現場が、まずすべきは自らの専門性を高めていくことに他なりません。

 

少子化にともなう生産人口の減少から今後女性はもっともっと社会で活躍するようになります。それは同時に女性の生き方や各家庭のライフスタイルの多様化を意味していて、そうなれば過去の常識は通じなくなっていきます。

 

これまで伝統的に感と経験に大きく依存してきた保育現場。しかし、それではもうダメ。多様に変化する社会へ柔軟に対応していく為にも、また進歩する学術や科学技術から、子どもの育ちに関する最新の知識を取り入れていく為にも、もっと学んでいかなければなりません。

 

そうすれば、自ずと社会は保育を就労支援機能としてだけではなく、子育ての専門機能として価値づけてくれ、保育園やこども園の持つポテンシャルがもっと発揮できるはずなのです。

 

と、いうことで本年のなごみこども園の目標は、学び続ける文化を醸成することにしますので、本年もどうぞよろしくお願い致します。

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